「わあ……!」
真っ青に晴れ渡った空。
頬を撫でる風すらも青く見える。
さらさらと囁きが聞こえるくらい青々とした草原。
そして、真っ白な雲と、鮮やかな空に栄える、極彩色の大きな翼。
金髪碧眼の美少女---キャサリンの歓声は空に吸い込まれた。
青が眩しくて、少し目を眇める。
目の端に、ちらちらと極彩色が映る。
その羽音と共に、身体を包む浮遊感。
もっと遠く、高く、空へ!
心の叫ぶままに翼を羽ばたかせる。
風音と羽音以外何も聞こえない。
このまま空に融けてしまいたい。
白い雲に極彩色がちらりと映り、すさまじい速度で流れる視界に一瞬で見えなくなる。
もっと高く。
もっともっと高く。
雲が減り、全身を包む風が涼しくなってきたことに気づく。
ああ、これ以上高く昇ったらまずいかな。一瞬そう思うが翼は止まらない。
羽音すら、もう耳には入らない。
何も考えられず、本能の赴くまま昇り続ける。
ぐんぐん羽ばたく翼に、恍惚としかけた時。
「あー、テンション上がっちゃってるね」
「だな」
ケイティとダムーが空を見上げて呟いた。
口調は呑気だが、目元はわずかに緊張している。
豆粒以下の大きさになったベラに不安になり、キャサリンが訴えたのだ。
「ベラフォードさんはどうなさったんですか?」
「前は降りてる最中で体力がなくなって、落ちてきたね」
「ああ」
「そんな!」
リアルに想像したらしいキャサリンが悲鳴を上げる。
そこで彼女はお嬢様らしからぬ大声を出した。
「ベラフォードさぁん! 大丈夫ですかぁーーーー!」
声が聞こえた気がして、振り向いた。勿論誰もいない。
ふと下を見ると、緑色がぼんやりと見えるだけだった。
草の上に敷いたシートも、その上で寝転がるケイティも、すごい勢いで食べ物を口に運ぶダムーも、小川で遊ぶヴィンセントも、笑いさざめくお嬢様とニーナも、何も見えなくなっていた。
冷たい空気がうっすらと汗をかいた肌をざわつかせ、思わず停止する。
さっきまで聞こえなかった羽音と、自分の少し荒くなった呼吸が耳障りだ。
声が聞こえた気がしたのだけど。
ざわりと空気が揺れ、身震いした。
さっきまでは縦横無尽に飛び回っていた空が、今は何だか大きすぎる。
ふ、とベラフォードはため息と一緒に笑いをこぼした。
不安になっているのだろうな。自分は今。
戻ろう。
戻ろう、みんなの所へ。
そう思うが早いが、極彩色の翼は落ちるような速度で下降を始めた。
みるみるうちに緑が近づき、金糸のような髪、サファイアのような碧眼の少女が不安げな面持ちをしていることが見て取れた。
可愛らしいお嬢様が、そんな顔をして。
ただいま。
「そうだね、言葉ではまだもらってないけどね」
アタシが答えるより早く、アタシを抱きしめている男が答える。
「テメェには聞いてない」
依頼人に向かってテメェ……。
「ベラ、どうなんだ」
どう答えるのが正解なんだろう。
どの答えが自分の答えなんだろう。
業を煮やしたのか、何か言おうとしたダムーより先に口を開いた者がいた。
「とにかく宿に戻ろうか。いいトコで水もさされちゃったことだしね」
依頼主だ。
そう言ってあっさりとアタシを解放し、さっさと歩き出す。
その後ろ姿を睨み付けたまま、動こうとしないダムー。
とりあえず護衛しなくちゃね……と歩き出した時、すごい力で腕を掴まれた。
「宿に着いたら、その匂い落とせ」
こちらの目を見ずに、硬化した空気のまま告げられる。
「……わかった」
アタシも何故か目を見ることが出来ず、そのまま別れた。
「痛っ……!」
突然の出来事だった。
宿で風呂場を借り、一人部屋で悶々としているといきなり後ろから腕を捻りあげられた。
「ちょっと、何のつもりよ!」
「あそこで俺が出て行かなかったら、おまえどこまで許した?」
うまく答えられない。
「わからないわよ……でも雰囲気でそういうことになる時ってあるじゃない」
最後の抵抗として言った言葉が、まずかったらしい。
急に無言になると、有無を言わせず下着に手を入れてきた。
「ちょっと……待って! 今日はそんな気分じゃ……っ」
急所を掴まれて言葉が途切れる。
いい加減慣れた身体は素直に反応し始めるが、こちらも意地だ。
声も上げず、顔も見ず、じっと嵐が過ぎ去るのを待つ。
日々ずるずると続いているが、ケイティは何も言ってこない(ヴィンセントはもともと勘定に入っていない)
でも多分、見てみぬフリとかそういう……!
まあ助かってるけど……。
いつまで続くのかわからないけど、終わらなければいいと思うくらいにダムーのことが好きだった。
「気分でも悪いのか?」
耳元で囁かれた言葉がぞくりと肌を粟立たせ、思わず勢いよく振り返ってしまった。
「いいえ、失礼」
危ない。
今はお仕事の真っ最中で、アタシは付き人のフリをして依頼人と街を歩いている。
今回の依頼人はどこぞでは有名な資産家で、何でも地元を離れた街で商売を始めるとかで、その道中の護衛を頼まれているのだ。
今日は、この街の資産家に会いに行くところで、一番付き人としてしっくりきたアタシが付き添うことになった。
ダムーは街をぶらついて情報収集。ケイティとヴィンスは宿で待機。
「そうか」
さっきから、こいつ(依頼人に対する呼び方ではないけど)の視線が気になる。
ちょっと、色めいてるというかなんと言うか。
アタシがこんなんだから、あら同類なのねーでもごめんなさいねーという感じなのだけど、さっきからやたらとボディタッチが多い。
何度もその不埒な手をさりげなく払い除けてはいるのだけど、過敏になる必要があるようなないような微妙なとこなのよね。
これが意図的だったら危険……カムフラージュがうますぎて。
「お待たせ」
どうやら商談はうまくいったようね。
機嫌のよさそうな足取りを見るまでもなく、声が大きすぎて扉の前に待機してるアタシに筒抜けだったんだけどね。きステロタイプでも聞こえるわよ、あれ……。
「お疲れ様。さ、宿に帰りましょうか」
付き人としてどうなのかわからないけど、先導して歩き出す。
一応意識は後ろに置いてあるけど、これだけ安全ならそれほど気にしなくても大丈夫でしょう。
「もう?」
いやな雲行き。
「もうちょっと街を散歩したいな」
前に立ちふさがり、ネコのような目でにっこり笑われる。
「護衛はアタシ一人しかいないのよ? 早く帰るにこしたことないわ」
「そんなこと言わずに」
どんどん先に立って歩き出す。
放って行ってやろうかと思ったけど、そもそも依頼人だし、いい男には甘いのよねーアタシ。
しょうがないなぁとか思いながら、仕方なく付き合うことにした。
「これはなんだ?」
「ええと、この町の名物らしいわよ。パンみたいなものですって」
「へえ……」
「食べたいの?」
「……別に何も言ってない」
「ふぅん、じゃあいいけどね」
「……」
「食べたいなら買ってきたら?」
「……ぃ」
「え?」
「今、必要な金しか持ってない」
「…………これくらい払うわよ」
「賑やかだな」
「ああ、今お祭りの時期なのよ。1週間くらい毎日広場で出し物や出店があるんですって」
「そうか」
「行きたいの? お金ないのに」
「ないんじゃない! 今持ってないだけだ!」
「はいはい」
「……ちょっとだけ」
「人の多いところは歓迎しないわ」
「ちょっとだけ」
「……」
「やった!」
「もぅ……」(ため息)
「楽しかったな!」
「そうね……」
うっかり素直にうなずいてしまったくらい、予想以上に楽しかった。
辺境の町ならではのはっちゃけ方をしたお祭りは刺激的だし、食べ物も美味しいし、なかなかおねだり上手な依頼人もイヤではなかった。
「もう暗くなってきたわ。宿に帰りましょう?」
だから、この提案は少し残念だった。
(だって久しぶりにダムー以外のいい男ですもんねぇ)
この気持ちは浮気ではないと思う。
……ダムーとは、浮気という言葉を使うような関係ではないから。
「……そうだな」
この彼も、同じような性癖の人なんだろうなぁ……とこの数時間で感じた。
だから、物陰に引きずり込まれてキスされても、そんなに驚かなかった。
「……んぅっ……」
呼吸を全部持って行かれそうなくらい熱く求められる。
思わず目の前の身体に縋り付く。
「一緒に旅してる彼とは、こういう関係?」
キスの合間に投げかけられた問いになんと答えようか。
身体の関係はあることはあるけど……それだけだ。
「だったら、何?」
挑発的に下から睨め付ける。
生唾を飲み込んだのが見えた。
「駄目かな?」
さっきまでのおねだりと同じようなテンションで、だけど確実に熱を持った声が囁く。
その間にも、不埒な手は身体を撫で回してくる。
さりげなくその手に抵抗しながら、流されそうになっている自分を感じていた。
……ダムーは、こんな風に求めてこない。
当たり前だ、彼は普通に女性に発情すタイプだからだ。
それを何かの間違いでこうなっているだけ。
久しぶりに感じる“同じ”相手の愛撫は気持ちよかった。
流されてしまえ。浮気ではない。
そのささやきに屈しようとしたとき。
「これはおまえの合意の上か?」
今一番聞きたくない声だった。
「……ノックくらいしなさいよ……」
……見られた。
まさかこんな時間に部屋に来られるとは思わなかった。
布団はかぶっていたけど、音……とか、声とか……臭いで……完全にバレたことは、ダムーの顔を見ればわかる。
「いつまでいんのよ」
逆ギレ。
そりゃ逆ギレもするわ!
あああ、もう情けない。
「あ、いや、ごめ……」
テンパるダムーにイラつく。
ああああ気持ち悪いとか思ってんだろうねーーーー正常な男子だからね。
仕方ないわ。
これで、アタシに向いてるのは恋じゃなくてただの身体の反応だって気付いてくれればいいんだけど。
「……俺がやってやる」
真っ赤な顔をしながらも、目をそらすことなく言い切った。
……どうしよう。
嬉しすぎて、何も言えない。
おいおいおいおいおい、ケイティ何だ藪から棒に。
「早く玉砕するなりうまく行くなりしてくんない?」
それは、むこうが何かのらりくらり……。
「そんなの、あのややこしいベラがすぐうなずくわけないでしょ! アンタも男ならどーにかしなさい!」
珍しく個人個人で部屋を取った日の夜の話だ。
夜遅くにケイティ強襲。
わけもわからず話をしていると、気付けば部屋を蹴り出され、白黒はっきりさせることになってしまった。
正直、俺は芽生えたばっかりの自分の気持ちに困ってる。
悩まないわけがない。
今まで恋愛の対象でなかった相手に発情するようになっちまったんだぞ!?
悩まいでか!
単純・直情・悩まないがモットーの俺も、流石に今回ばっかりは……。
しかも相手はあのベラフォードだ。
悩まないわけがない……のだけど。
悩むのは苦手だ。