えらい勢いなのでもしかしたら水でも浴びてるのかも知れない。
俺は俺で、ぐちゃぐちゃになったシーツを丸めながら「今夜はここで寝られないな……」と思っていた。
換気のために窓を開けようと苦戦していると、音がして氷河が出てくる気配がした。
振り向けない。
俯きながら窓と戦っていると、気配は真後ろに来た。何か言えよ。気まずいだろ。
「これ嵌め殺しじゃないの?」
普通だ。普通の声だ。
「いや、でも鍵ついてたし……」
それに比べて思いっきり動揺した声が出た。くそ。
ひょいと肩越しに白い腕が伸びる。くっきりついたベルトの痕が視界に入り、思わず目を逸らす。
「あ、ほんとだ、鍵ついてる」
固まってる俺に気がつかないフリをし、窓をあっさりと開けた氷河はそのままあっさりと踵を返した。
ひんやりとした空気が離れ、強ばっていた肩から力が抜けた。
そのまま1分ほどお互い無言。氷河が何をしてるかとかもう気配を探る気にもなれない。
「気まずいから帰りたいんだけど」
あんまりな言葉きた!!
反射的に振り返ると、唯一のナイトウェアを着込んでいる氷河がふてくされてベッドの端っこに腰掛けていた。
「帰りたいんだけど服とパンツがない」
に、睨まれた。
怒ってるじゃねぇか。
俺の脱いで渡すか……とまで思い詰めていると、空気がふと軽くなった。
氷河が困ったように笑っている。
「さっきのあれ、気にしなくていいから」
ぶつけられた言葉に、掛け値なしに心臓が跳ね上がった。
頭ががんがんする。
「雷が大地兄の事好きなのはずっと分かってたし、零の事で苦しんでるのも知ってた」
あっちを向きながら訥々としゃべる氷河。一切こっちを見ない。
「でもだからどうってわけじゃないから。ただ、俺はすごく嫌だったわけじゃないし、本当に嫌だったらなんとしてでも抵抗してるし、というか俺が雷好きだから雷もそういう方法に出たのかも知れないから雷のせいじゃないし……雷が気に病むような事じゃないから。忘れて」
あれ、何で俺ショック受けてんだ。
こんなに長文を、しかも考え考えしゃべる氷河なんか珍しくて(というか絶滅危惧種? くらい見たことない)、俺の為にこんなにしゃべってくれる氷河にテンションあがらないはずないのに。
何でこんなショック受けてんだ?
「忘れて」
きっぱりとした瞳で見据えられ、何も言えなくなる。
忘れる?
忘れたことにして、普通に今まで通り氷河とみんなと楽しく生活する?
忘れられる?
ちゃんと忘れたふりできる?
「できない」
「雷のせいじゃないから」
「できない」
「むしろこういう状態かもって思いながら来ちゃった俺が悪いし」
「できない」
「まだホルモン安定してないんでしょう?」
「できない」
「大地兄に振られたばっかで気持ち落ち着いてなかったし」
「できない」
業を煮やし、氷河が怒った声で、でも泣きそうな顔で、哀願するように言った。
「忘れて」
氷のような瞳で睨まれ、焦燥だけ募る。
「嫌だ」
泣きそうな声が出た。
そんな自分の声にびっくりして、でも言葉は止まらない。
「嫌だ。俺が氷河の事すっごい傷つけたのに、俺だけ忘れるの? 氷河は絶対忘れないでしょ、絶対」
しゃべりながら、あれ、と思った。
「俺、おれすごい後悔して……氷河が話しかけてくれてすっごいほっとしたんだよ」
胸の中に迫る、すさまじい後悔の風。
「もう元の関係には戻れないって思って、それで」
ああ、そうか。
「まだ、まだ失恋したばっかりだからわかんないけど、でも、氷河が待っててくれるなら……」
私は氷河と新しい関係を作りたい。
ひんやりとした体温を感じた途端、堰を切ったように泣き出してしまった。
「だからーーーーーーー!! 嫌だっつってんだろうが!!」
滅多に表情の崩れない氷河が必死で逃げている。
「お願い、ね、お願い!」
「しつけぇ! っていうかその必死さが怖ぇ!」
その様子をぽかんと見つめている炎、大地、零の二人。
「最近あの二人、何か変わったね」
零が苦笑混じりに呟く。同感、というように頷く男二人。
「でもいいんじゃないのかな」
炎が含みのある視線を大地に向け、気づいた大地がさり気なく視線を逸らした。
「で、あの二人は何をもめてるの?」
「さあ」「さあ?」
でもまあ、
「楽しそうだからいいか」
「おっ……俺がそういうことゆって、らいが、満足するならいいけど……」
しゃくりあげながら一生懸命しゃべる姿は庇護欲を掻き立てる。
「でも、おわったら、らいは絶対後悔するでしょ」
どろどろに汚されているのに、絶対に汚れてくれない。
涙でぼろぼろなのに、息も絶え絶えなのに、最後の一線は越えさせてくれない。
墜ちてくれない。
「……何で?」
それを言いたいのはこっちだよ、という目になった氷河にも気づかず。
結局汚いのは俺だけなのかな。ぼんやりそんな事を考えていると、すっと意識が冷えた。
えらい格好になったおとうとにのしかかっている自分。
ちょっと、冗談じゃなく、本気で血の気が引いた。
氷河の、比較的熱くなった息にハンパじゃなく焦る。
「……自分だけ正気に戻るのやめてくれないかな……」
辛そうに眉を寄せた氷河。何故気づいた。
「わ、ちょ、ごめ……」
慌てて身体を起こすと、見ちゃいけないものを見ちゃいそうでわたわたする。
「これ、外してくれたら自分で何とかするから……とりあえず居たたまれないからどいて」
まだ本格的に冷静にはなってなかったようだ。
羞恥に頬を染める氷河をみて、脆くも理性は溶けた。
「だっ、だから、自分でするってば……っ!」
完全に気を抜いてた氷河のものをひょい、と掴むと、本気の抵抗がきた。
「いや、だって俺のせいだし」
「意味がわからん!!!!」
ぎゃーぎゃー喚いていたのに、やわやわ撫でるとぱたっと無言になるのがエロい。
歯を食いしばって無言で耐えてるのがエロい。
……。
「駄目だってば!!」
ご丁寧に脚で蹴ってこようとしたのだが、体力の利はこちらにある。難なく掴むと無理矢理押さえつけた。
馬鹿とかやめろとかその他罵詈雑言が段々上擦っていき、泣き声のようになる。
意外と、躊躇いとかないもんだな。
「やっ、めっ、ほんとにヤバイって……ッ! らい……ッ!」
あ。
口内に広がる、青臭い体液。
ぬるい。
目の前では死にそうな顔をした氷河。
目があった瞬間、氷河の涙腺がついにきれた。
「なん……っ、何、で、もぉわけわかんねぇよ……」
かなり可愛そうになったのでベルトを外すと、白い細い腕にくっきりと型が残ってしまっていて痛々しい。
腕が自由になった途端、両腕で顔を隠してしまった。
何か色々臨界点を越えてしまったらしい。他人事のように考えているが、100%自分のせいだってわかってる。大丈夫。
というか、口内にあるコレはどうしようか。
泣いてる氷河の前を横切り、サイドボードのティッシュを引っ張り出して吐き出す。
それを見たのか、氷河が突っ伏した。声を殺して泣いてる。
どうしよう、本格的に可哀相だ。
「あの……氷河」
そっと背中に手を置くと、過敏に飛び起きた。
泣き腫らした目に怯えが映り、本気で凹む。
「……ご」
「謝ったら怒るよ」
強い口調で遮られた。
どうしよう、俺が泣きそうだ。
「だ、だって……俺、氷河にこんなことして……苛々してたからって、八つ当たりみたいに……」
やば、ちょっと目潤んできた。被害者の前で加害者が泣きそうになるとか最低だ。ほんとに。
「八つ当たりだったの?」
ちょっと半身になってズボンのチャックを上げる氷河に、そのパンツぐちゃぐちゃじゃない? とぼんやり思う。
直視できずに視線を逸らす。
「俺じゃなくて炎でも同じことした?」
声の響きに何かを感じて、目を上げる。
「炎だったらきっともっと上手に雷を慰められたのかも知れないから比較対象にはならないかも知れないけど?」
……。
怒ってる。……のかな?
怒ってるにしては表情に達観したものがあるし、でも声は硬い。というか声が怖い。
だけど、本当にどうなんだ。炎でも同じことしたのか。
あいつはエロいこと大好きだからなあ……。どんなプレイでも結構喜んじゃうしなぁ……。
じゃあ何だ、俺は氷河がこういうこと大嫌いだからあえてこういう手段を取ったのか?
そういえば、兄貴もこういうこと嫌いだ。その兄貴も襲おうとした。未然だけど。
「……どっちでもいいけど」
絶対良くない。その声は絶対良くない。
ふと、氷河の顔を真正面から見てしまった。
もう泣き止んで、ちょっと俯いている。
頬が赤い。
……あれ?
「氷河」
「なに」
拗ねたような横顔。
「怒ってないの?」
「怒ってるというか、わけがわからん」
それは本音だろう。
「気持ち悪かったよな」
そういうと、勢い良く顔を上げ、怒ったように言い放った。
「そんなでも俺は雷が好きだからな!」
言うが早いが、さっさとベッドから飛び降りてバスルームに飛び込んでしまった。
「え……」
一人ぐちゃぐちゃのベッドにのり残され、思わず正座する。
かーっと顔が赤くなるのを自覚した。
どうしよう……。
思い出した記憶は更に新しい感情を誘発する。
「とりあえずここじゃ俺が寒いから、中入っていい?」
氷河は寒さに強いから大丈夫だろうけど、肌寒いのは事実だ。
「ぇ、泊まってる部屋?」
わずかに狼狽する氷河。
意識がざらざらする。
何故か氷河といるとこうなることが多い。
「さみぃんだよ」
さっさと身を翻すと、慌ててついてきた。
「……」
「……」
俺はベッドに、氷河は椅子に座ったものの会話が続かない。
時々ちらちらとこちらを見ながらも言葉を見つけられない氷河。
そんな氷河をじっと見つめる俺。焦る氷河を見て苛々しつつも、内心悦んでいる自分が一番どうかと思う。
「雷……は、大地兄の事……」
そこで言葉に詰まったのは、俺の目ツキが悪くなったからだろう。
困ったように言葉を選びながら、やがて諦めたように息を吐いた。
「俺が知ってることは知ってた?」
「薄々は」
「だから怒ったんだろ」
今度はこちらが言葉に詰まった。
そういわれればそんな気もするし、違う気もする。
何かもう面倒だ。
「だったら何? 慰めてくれんの?」
言うと同時に、氷河をベッドの上に引きずり込んだ。
走ってもなお体温の上がらない身体を抱きしめる。
びくっと跳ねた身体に気をよくし、兄貴にしたようにのしかかる。
目を見開いて完全に硬直しているのを良いことに、ベルトを素早く抜き取り軽く腕に巻き付ける。
本気を出せば外れる程度に。
「ちょ、雷、どうした急に、」
じたばた暴れるものの、本気の抵抗はしてこない。
ヤバイ、何か今ちょっとテンション低いかも。
腕の下にいる綺麗な氷河を傷つけたい。
自分が傷ついたからって、最低だ。
「待っ……待って! 駄目だってば雷!」
本気で抵抗を始めた氷河の耳の中に直接囁く。
「兄貴に振られたんだ。慰めてよ」
真っ赤になりながら動きを止める氷河。
泣きそう。
「だ……って、雷、セックス駄目じゃん」
いまいち女になりきれてない為、実験の時は拒否しまくってよく泣き喚いてた。
「うん、別に氷河とセックスするわけじゃないから大丈夫」
その実験のおかげで、ある程度までなら大丈夫になったのだ。
俺の身体は、武器になる。そのことを知ったのもその頃だ。
ショックを受けたように硬直した氷河を一瞥する。
「いやだ、雷、何で……」
今にも泣きそうな顔をした氷河がかわいそうだと思いつつ、止まれない。
無理矢理ズボンの前を寛げると、指先がちりちりと冷たくなってきた。
「駄目だ、雷、やめ……ッ痛っ」
思わず反射的に微弱な電流を発生させる。
馬乗りになられてた氷河はもろに喰らい、身体が強ばった。
その隙に、唇を重ねる。
混乱して動けない身体を押さえつけ、逃げる舌を絡め取り、執拗に口内を蹂躙する。
ほんの少しだけ電流を流すのも忘れない。さっきのように攻撃的なものではない。性感帯を刺激するためだ。
反応したところで強さを上げてみると、身体がびくびくと波打った。
口内を思うがままに撫で回しながら、ズボンを取り去る。必要最低限だけの脂肪がついた、ほっそりとした内股が震えてる。
「何だ、ちゃんと反応してるじゃん」
キスの合間に指摘してやると、ぽろ、と涙がこぼれた。目元が真っ赤に染まっている。
見ていられなくて、視線を逸らす。
肩や腕、手の甲や胸に電流付きのキスを落としていく。その度に震える身体に嗜虐心が刺激される。
そして。
「----ッ!!」
氷河が飛び起きようとし、あまりの刺激に再びベッドに沈んだ。
「やめッ……ぁッ! ら、らいっ! やだあ!」
子どものように泣きじゃくりながら身悶えする氷河は、壮絶に色っぽい。
さっきまでは本気を出しさえすれば外れたベルトは、下手な同情心のせいで強固に腕を拘束する枷になる。
俺の右手では、熱を持っても尚ひんやりとしている氷河のものがびくびくと震えている。
勿論、電流込みだ。
氷河自身の体液でどろどろになったそれは、さらに電流の通しを良くしてしまう。
それが更に本人を苦しめる。
「ん? 何で?」
にっこり笑いながら電流を止めてやる。
氷河は何も答えられず、ただ胸を忙しなく上下させながら喘ぐだけだ。
瞳からはぼろぼろと涙がこぼれ、普段ほとんど動かない綺麗な顔が苦痛と快感に歪んでいる。
急に刺激を止められたものはびくびく震えながら、解放を待ち望んでいる。
戯れに熱い息を吹きかけてやると、眉を寄せて唇を噛む。
ぎゅっと閉じられた目蓋を開けさせたくて、顔の横に両腕をついた。
「氷河」
顔を逸らした為に晒された真っ白な首筋。息を吹きかけてから、そっと耳朶を舐めた。
つ、と内股を指でなぞると、かわいそうなくらいびくびく震える身体。
「らい……ッ」
切なげな声で名を呼ばれ、思わず下半身にキた。
既に抵抗しない身体を抱きしめ、少し離れたところから電流。
「っく……らい、おねが……」
拘束しているベルトがぎしぎしと嫌な音を立てる。
「ちゃんとお願いしてごらん」
にっこり笑いながら突き放す。美しい瞳が絶望に染まる。
「もちろん、ちゃんと恥ずかしいお願いの仕方覚えてるよね? 教えてもらったでしょ?」
そのままぎりぎり触るか触らないかのところを撫でる。
あまりにもまずい。あれはまずすぎる。
何もあそこまで捲し立てなくて良かったんじゃないか。意味がわからない。
というか、なぜあそこまで自分が暴走したのかがわからん。
まだホルモンが安定してないというのもあるのだが、安定していないにもほどがある。
思わずベッドであーとかうーとか呻いていると、携帯が鳴った。
しまった。電源切ってなかった。
「……兄貴」
着信画面に光る“大地”の文字。
100%氷河絡みだろう。どうしようか悩みつつ、けど、やっぱり兄貴からの電話を無視することが出来なくて通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『雷? 今どこにいるの?』
安堵したような、怒っているような……声色ではわからない。
それでも、生来の柔らかい兄貴の声に涙が出そうになった。
「……氷河から聞いたんだろ。俺今日は帰らないから。頭冷やす」
『喧嘩したってだけね。氷河が真っ青な顔で帰って来たから、また体調崩したのかと思ってぞっとしたよ』
軽く言っているが相当心配したに違いない。
駄目だ。
何か、兄貴が他の人のこと心配してるだけで胸がざわざわする。
氷河も心配だけど、兄貴に会いたい。
兄貴に会いたい。
「今日は結局兄貴達はどうしたの?」
沈黙が怖くて、聞きたくもない話題を振る。
『二人でDVD見てたよ。零が見たいって言ってたやつ』
「仲いいね」
『……うん』
今の間に、何かを感じた。
今の声の温度に、何かを感じた。
まるで春の日向のような柔らかな声。
何かが訪れた。
私たちの仲を裂く、決定的な何か。
「兄貴、今出られる?」
『うん? どうした?』
「兄貴に会いたい」
泣き声みたいな声が出た。
面食らったのか、兄貴が鋭く息を呑む音が聞こえた。
「会いたい、兄貴に会いたい」
『……わかったから、どうした? 今どこにいる?』
「駅前のビジネスホテルに一人で泊まってる」
『そこまで行くから待ってなさい』
そこで兄貴の方から電話が切れた。
俺はわけもわからず涙がぼろぼろ出て、生理前だからかな、ホルモンバランスが崩れてるんだな、こんなタイミングなんて運が悪いな……ずっとそんなことばっかり思ってた。
通りに面した窓にもたれかかり、彼の人が来るのをじっと待つ。
何分くらい待っただろう。
携帯が軽やかなメロディを鳴らす。
『着いたよ』
目を走らせると、大通りの向こうに兄貴の姿が見える。
「前にいて、降りる」
急いで化粧直しをしてから鍵を掴み、飛び出す。
夜のとばりが降りた街は薄暗く、エントランスを飛び出しても兄貴の表情がうまく分からない。
見たくないからかも知れない。
「兄貴……ごめんなさい」
だから、声がぎりぎり聞こえるかどうか分からないあたりで立ち止まり、言葉を投げる。
小首を傾げた為、その表情が浮かび上がった。
ただ、純粋に心配した表情。
泣きそうになった。
「兄貴、氷河なんて言ってた」
だから顔を見られないように俯いて聞く。
「いや、雷と喧嘩したって。怒らせたって」
兄貴、薄着だ。よっぽど心配してくれたんだろう。
「今は大丈夫?」
「うん、今は零が話聞いてる」
また零か。という事は零は家に泊まるのか。
家に帰りたくないけど、自分がいない夜に兄貴と零が一緒にいるのはイヤだ。
申し訳ないと同時に、ふつふつと暴力的な衝動が沸いてきた。
「兄貴、寒いよね。部屋に行って話してもいい?」
上目遣いで聞くと、わずかに戸惑いながらもついてきた。
気づいてる? こんな風に部屋で二人きりになるの初めてだって。
「……うわっ!」
部屋に入るなり、兄貴をベッドに突き飛ばした。
全く予想もしていなかったせいか、見事に布団に埋もれる兄貴。可愛い。
ちょっと怒ったような顔で起き上がろうとするのを馬乗りになって止める。
「ねえ、気づいてた? 俺が兄貴のこと好きだって」
おかしい。軽い調子で言うつもりだったのに。
涙なんか流すつもりなかったのに。
こんな悲壮な声出すつもりなんてなかったのに。
目を丸くして動きを止めた兄貴の表情が、すべてを物語ってる。
最初から私は一人で踊ってただけなんだ。
零のことしか見えてない兄貴には、俺はただの“きょうだい”。
ハナから雷と同じ土俵になんて、乗ってなかったんだ。
身体が震えて力が出ない。
このまま無理矢理関係を持ってしまえば、兄貴はどうなるのかな。
あんまり性的な実験をされていないであろう兄貴は猥談すら好まない。
炎は言うに及ばず、あの氷河ですら平気な顔をしているというのに。
多分、自分だけそういう実験をされてなかったから、心苦しいんだ。
だって兄貴は綺麗だから。
汚してしまったら、零のところから俺のところまで墜ちてくれるかな。
同情でも悔恨でも何でもいいから、側にいて欲しい。
「好きなんだ、兄貴のことが」
わけもなく涙が出る。
ぽろぽろこぼれて兄貴の頬を濡らす。まるで兄貴が泣いてるみたいだ。
「……そっか」
目を伏せた兄貴がぽつんと呟く。
もうこれ以上早く動くはずないと思ってた心臓が、更に早鐘を打つ。目の前がくらくらする。
強い意志を持った目と、俺の泣き腫らした目が合う。
短く息を吐き、力なく微笑んだ表情で分かってしまった。
「ごめんな」
何度も何度も振り返る兄貴を帰らせ、だらしなくベッドに寝転がる。
「最後まで“おにいちゃん”のまんまかぁ……」
こんなにスタイルのいい女が身体に跨ってるというのに。あの男は何の反応もせずに、ただ純粋に“きょうだい”の心配のみを貫き通した。
「あー……」
恥ずかしさにいたたまれなくなり、意味もなく跳ね起きる。
酒を飲もう。憂さ晴らしだ。
コンビニにでも行こうかと靴に爪先が触れた瞬間、無意識に窓の外を見た。
「……?」
何かが目にとまり、窓に近づく。
「氷河!?」
小走りに駆ける、さらさら揺れる銀髪が夜道に映える。
紛うことなくこのホテルの前に立ち止まり、もどかしげにポケットを探る。
あ、携帯か……思う間もなく、乾燥した部屋に鳴り響く着メロ。
「…………もしもし?」
『……ハァ、ハァ……ぁ、雷? 大地兄から聞いて……っ、今っ前まで来てるんだけど』
乱れた呼吸の中で、必死で話しかけてくる。
あの氷河が、息を乱している。
びっくりして飛び出し、気づいたら、目の前に氷河がいた。
「……い、勢い良すぎだろ」
わずかに頬を紅潮させ、目をまん丸にしている。
全力疾走でもしたのか、額に汗が浮いている。またそんな無茶して……倒れたら怒られるの俺なんだぞ。
俺と目が合うと、イヤな別れ方を思い出したのか少し気まずげに目を逸らす。
「何か、大地兄の雰囲気が普通じゃなかったから……それに、大地兄も誰か雷のとこに行ってやれって」
聞いてもいないのに言い訳みたいにつらつらしゃべる氷河は、多分気まずいのだろう。
兄貴も多分、一番こいつが行っちゃいけないと思ってたはずだけど。実力行使でもしてきたかな。
「ぁ……あの、雷、さっきは余計なことしてごめん」
顔は逸らされて見えないから、真っ赤になった氷河の耳たぶを見つめる。
氷河は元々、すごく気の利く子だ。
炎以外の誰かが落ち込んでいたらそうと気づかれないように陰でフォローするし、炎以外の誰かが無茶しそうだったらさり気なく止める。
その氷河に、面と向かって心配された。
これはなかなかに重症だろう。
図星を指された恥ずかしさと気まずさは、八つ当たりという反動で出た。
「え? 何? 落ち込んでるから買い物でも連れてってやろうって?」
急に剣呑になった雰囲気に、わずかに眉をしかめる氷河。
ああ、俺やっぱだいぶキてるわ。止まらん。
罵詈雑言は次々と溢れ出し、氷河の綺麗な耳を汚す。
頭の中の冷静な部分じゃ止めようと思っているはずなのに、言葉が止まらない。
氷河の白い顔がさらに蒼白くなっていくのをぼんやりとみてしまう。
かわいそうに……そんな言葉が浮かんだが、即座に打ち消した。
快感だった。
俺の言葉に傷ついている氷河に嬉しいんだ。
薄い氷に沈んだサファイアの如く、冷たく透き通った瞳が曇っていく。ぎゅっとサファイアが小さくなる。
目元が緊張し、肩が強ばる。
ポーカーフェイスをほとんど崩さない彼の表情を動かしている、それが快感なんだ。
だって、彼がこんな顔するなんて私の前だけだから。
近くにいたカップルが、こそこそと席を外すのが目の端で見える。怯えているようだ。自分は今そんなにひどい剣幕なのかな。
あまりの自分の性格の悪さに反吐が出そうなったころ、やっと言葉の奔流は止まった。
どんどん冷えていく頭に、少し荒くなった呼吸の音が耳障りだ。
「……落ち着いた?」
まだ表情を硬くしたまま、掠れた声で氷河が尋ねる。
理性が残っている内に、その場を離れた。