黒髪でさらさらショートヘア。
透き通るんじゃないかというくらい白い肌はすべすべしてそうで、大きめのカッターシャツからちらちら覗き劣情を煽る。
アーモンド型の瞳は黒目がちで、長めの前髪で時々隠れる。
「何にも心配しないで大丈夫」
手を持ってそっと触れさせられた胸はやや小ぶりだけど、つんと綺麗に上向いている。自分の節くれ立った手の中でふわりと形を変え、柔らかな感触がダイレクトに伝わる。
もっと強く揉みしだいて、この手の中でありとあらゆる形にしてやりたい。
下半身に血液が集まって大変なことになってきた。
理性を総動員させて、目の前の肢体、耳に触れる吐息、手の中の感触から意識を引きはがす。
駄目だ。この子だけは駄目だ。
だって、本来の姿は男でしかも親友なのだから。
桜が咲き乱れる。
見たこともない。
闇夜に映える鬱蒼とした紅は全てを覆い、あまりの圧迫感に眩暈がする。
その幹に左手をつき空を仰ぎ見ると、むせ返る花弁で、視界が埋まる。
「ああ」
ため息のような声が漏れた。
美し過ぎる桜に畏怖の念を抱く。
その美しさは、風前の灯火故のもの。
「お前も一緒に逝ってくれるのだな」
植物にも魂があるのであれば、その魂を燃やして咲き乱れている。
狂ったような桜に可憐な印象はなく、心をざわめかせる。
今はそのざわめきすら、遠い。
手足の指先が痺れた様に冷え切っている。
呼吸をすると肺がきしむ。
この身体にもついに、限界がきた。
400年以上の年月は肉体を徐々に蝕み、ついに魂の容れ物としての機能を果たせなくなった。
視界がぼやけて歪み、膝と右手にゴツゴツとした感覚。
体重を支えることも出来なくなった。
左のこめかみを幹に預け、目を閉じる。
「お兄ちゃん!!」
風が揺らす木々の音の中から、君の声。
桜もその狂気を抑え込んだかのように穏やかになる。
君の名を呼ぼうとするが、乾いた唇が震えるだけだった。
「おにいちゃ……」
もうほとんど何も写らない瞳を必死で凝らし、君の姿を探す。
こんな姿、見せたくない。見せたくないのだが、最期に君に会えて良かった。
「ありがとう……ありがとう、本当にありがとう……」
頬に触れた柔らかさはきっと、君の掌。
君の涙を拭いたくて左手を幹から放すが、耐えきれずに地に落ちた。
あまりの情けなさに自虐的な笑みを浮かべたいのだが、きっともう表情も動くまい。
「逝かないで……一人にしないで」
君は一人じゃない、仲間がいる。俺なんかいなくなっても、きっとあいつらが君の傷を癒してくれる。
昔はこんな風じゃなかった。
今は頼っても良い仲間がいる。
こんなに穏やかな死は初めてだ。
君と、そして仲間といたのは俺が生きてきた中ではほんの一瞬だが、素晴らしい煌めきを放っていた。
本当に、良かった。
筋肉を必死で動かし、笑みをつくる。うまくいくだろうか。
耳の中に水でも入ったように、君の声が遠ざかる。
本当に最期か。
なかなかいい人生だったな。
願うのは、君がもうちょっとだけ泣いてくれることだけだ。
さようなら、また君に会えればその時は。
返ってきたのは……胡乱な眼差し。
その底にやっぱり怯えが見え隠れし、もうどうしていいのか分からなくなる。
駄目だ。諦めたら駄目だ。
氷河は何も言わずずっと側にいてくれたんだから。
「……駄目、かな。その、やる気がないならないでいいんだけど、でも、」
ああ、駄目だ、何を言ってるのか分からん。
無駄にもぞもぞしてしまい、氷河の顔を見られない。
「……どういう風の吹き回しだ?」
警戒心剝き出しですねー。
しょうがない! 恨むんなら自分を恨め!
氷河の顔が泣きそうに見えて、俺が泣きそう。
「氷河と、ちゃんとした関係になりたい」
乱れのない自分のワンピースと、はだけた氷河のシャツ。
私がなりたい関係はこんなんじゃない。
無理矢理引きずり出さずに、見える物を見て見えない物を察していかなきゃいけない。
そして私も、さらけ出さなきゃいけない。
サボりすぎたんだ、私が。甘えてたんだ。
「ちゃんとしたって何?」
声が、初めて怒気が孕んだ。
「雷が何言ってるか意味わかんねぇんだけど。炎に何か吹き込まれたのか? それとも何? こないだの事未だに怒ってて難癖つけてきてんのか?」
今にも立ち上がって、部屋を出て行ってしまいそう。
こんな氷河のリアクションは初めてだ。ちょっと本気で逃げたくなったけど、ぐっと抑える。
いつもと違うリアクションだってことは、それだけこちらの様子がいつもと違うってことで、ええと、ごめんよく分からんけど、とにかく好転させてみせる。
「待って、話を聞いて」
この前の事は、そりゃ怒ってるよ。でももう仕方ない。
Hの途中だった事を思い出し、とりあえず距離を置いて座る。これ以上ないというくらい真剣に、まっすぐ見つめると一応聞く姿勢になってくれた。が、まだ視線はこちらを見ない、頑なな態度だ。
「この前の事は、その、確かに炎の野郎殺してやるとか、許した氷河にも今は口に出せないような思いも勿論あったよ。でも、違うんだ」
涙腺が熱い。
「わ、私が全部悪いんだ……私が、氷河を追い詰めたから、だから炎は氷河を心配してあんなこと……」
喉に詰まった涙を飲み込む。
いつも通りの言葉なのに、何なんだろう、この違いは。
電流は極力抑え、きっと物足りないだろうくらいの強さにする。
蕩けきった瞳に理性はわずかしかなく、唇からは甘い吐息が漏れる。
愛おしくて愛おしくて、宝物に触れるように髪を撫でると、びっくりしたような顔をした。
「な、にが……何が?」
息が荒いため言葉になっていないが、言わんとしてることは分かる。何でいつもみたいに酷くしないのかと聞きたいんだろう。
もう、私にはそんなこと出来ないのに。
「氷河、好きだよ」
耳元で、精一杯の思いを込めて囁く。
熱い息に身を震わせた氷河が、困ったようにこちらを見やる。
「大好きだよ。大好き」
そのまますっと手をつなぐと、びくっと身体が跳ねた。
表情に浮かぶ……怯え。
心が軋む。好きな人にこんな顔をさせてしまう自分に、本当に悲しくなる。
気付かなかったふりをしながら、固まってしまった腕を撫でる。
今まできちん見たことなかったけど、結構しっかりとした手首。
ほっそりしている腕は、それでもきちんと筋張っていてしなやかな筋肉を感じさせる。
そうか、病気ばっかりして発育が遅いだけで、ちゃんと男なんだ。
手の甲にキスをすると、ふっと力を抜いた。
今まで押さえつけることしかしなかった、せめてもの贖罪に何度もキスを落とす。
戸惑ったように揺れながらも、怯えは依然消えていない。
あ、そうか。俺が攻めちゃうから駄目なのか。
降ってわいたような思いつきを、早速実行することにした。
不思議と、恐怖心はなかった。
……が、ものすごい羞恥はあった。
「えっと……」
そっと手を放して正座してみる。何故か。
「?」
理性を取り戻した(相変わらず冷めるのは早い)氷河も座り直す。
はだけたシャツとか、乱れたボトムとか、そのボトムの隙間からちらちら見えるものとかはすごく目の毒で、一瞬押し倒してぐちゃぐちゃにしたい衝動に駆られながらも必死で嗜虐心を押し込める。今は絶対に駄目だ。
「あの……」
顔が真っ赤になるのが分かる。緊張して喉がカラカラだ。
「す……好きにしていいから」
なんて言い草だ。発情して押し倒したのはこっちのくせに。
「……………はい?」
案の定、ぽかーんとした氷河から返ってきたのは一言だけ。
ほ、他に言い様はないのか自分。
「じゃなくて……」
「何、疲れたの?」
声までもう戻ってる……! あんなに時間をかけて解かしたのに!! もう素なの!? 早くない!?
じゃなくて。
「疲れたとはどういう意味でしょうか」
聞きたくない言葉が出てきそうで、顔を上げられない。今まで自分がしてきた仕打ちを思い出すと、好意的な言葉が返ってくるとは思えない。
「? 俺に勝手に動けって言ってるのかと思ったんだけど……」
照れもせず、嫌味でもなく、突き放した言い方をされた。
心臓がずきずきする。
駄目だ、これくらいで傷ついてちゃ。
失った信頼は取り戻すのに時間がかかるものだ。
「その、氷河とちゃんとしたセックスがしたい」
言えた。
ずっと、ずっと。
ゆらゆらと紺のプリーツスカートが揺れる。
膝丈のそれはハイソックスに包まれた白い脚を時々ちらちらと覗かせ、目を灼いてくる。
表情に意識を向けると、今度はそのぷっくりした唇やすべすべの白い頬が気になってしまう。
妙にどぎまぎしてしまうのは、キミのことが大好きだからだ。
早足な君について行くと息が上がってしまいそうだ。
プライドを守るため、必死で耐えるけどね。
それにしても脚綺麗だなぁ。
おっといけない……やっぱりどきどきしてきた。
まさか今時のオンナノコ達みたいにこの下にジャージとかはいてないよね??
あああまたスカートの中とか気になっちゃってる。
姿が無事に玄関に吸い込まれると、寂しいはずなのに何故かちょっとほっとするのはそのせいかもしれない。
ああ、やっぱり可愛いなあ。
スカートの中だけじゃなくて……その、やっぱり制服の中も気になるよな。俺だって男だしね。
次は押さえきれなくなっちゃいそうだなぁ。
うん、でもあんなに無防備なキミなんだもん。キミにもちょっとはどきどきしてもらわないと、割に合わないっていうか。
俺のこの溢れる思いを、きっと分かってくれるだろうし。
よし、勇気を出そう。
「お兄ちゃん!!」
言われた内容も勿論かなり驚いたのだが、それを越える悲痛な声に心臓が飛び上がりそうになった。
が、そんな悠長な思いは泣きそうな顔をした君を追いかける男を目にした瞬間、どこかへ霧散する。
君の制服の胸元が乱れているのを認めるが早いが、頭は真っ白、身体はそちらに全力で駆けだしていた。
「もうやめて!! お願い……っ」
ついに泣き出した君の声が耳朶を打ち、はっと我に返る。
目の前には泣きじゃくりながら必死で俺を押さえようとする君と、血まみれの男。顔は見る影もなく、肉塊と言ってもいいレベルだ。
辛うじて生きてはいるようで時々聞くに堪えない呻き声が漏れてくる。
口からぼとりと落ちたどす赤いモノは多分、歯だ。
そう意識すると同時に痛覚が戻って来、拳が裂けている事に今更ながら気が付いた。びりびり痺れるような痛みに眉をひそめる。
返り血と自分の血でぼろぼろになった白い手。
これが君の手じゃなくて良かった。
『ずっと視線を感じる』
『嫌な感じがする』
君の言葉を思い出す。
「こいつか? お前の事ずっとつけ回してたの」
思いの外冷静な声が出たが、君は弾かれたようにこちらを見上げた。
その瞳にははっきりと怯えの色が写っている。
「わ……わかんな……」
ぐずぐずになっている君を持てあまし、とりあえず着ていた上着を放ってやる。
もそもそと袖を通し始めた君からさり気なく視線を逸らし、携帯を取り出し110番通報。。
淡々と状況を説明している内に、再びふつふつと怒りが湧き上がる。
俺が、いなかったら。
君はどうなってた?
もう二度と、君を見失ったりしないと思っていたのに。
どうなっていた?
倒れた相手にさらに追い打ちをかけるつもりはない。それだとただの暴行だ。
今にも暴れ出しそうな自分を理性で必死に押さえつけ、肉塊を睨めつける。視線だけで人が殺せたらいいのに。
それと同時に、まだ震えている君のことが気になった。