問面の女の子にビールを注ぎながら目の端でチェックを欠かさない。
ありがとーと笑う女の子も可愛いが、この子は確か後輩君が狙ってたみたいだからやめとこ。
そろそろトイレ行こうかな-。
ちらりと目をやると、にっこり笑う黒髪。よし、トイレ行こう。
浮き浮きしながら手を洗っていると、携帯が震えるのを感じた。
何気なく目をやると、名前が表示されてない。あいつか。しかも着信。
「……なに」
緑色の草原が広がる。
ざあっと風が凪いでいき、私の緑の髪が舞い上がった。
柔らかな草の匂いが鼻腔をくすぐり、思わず深く息を吸った。
花びらが風に遊ばれ、キラキラと光る。
ピンク、白、黄色、青、赤、オレンジ……色とりどりの小さなかけらは楽しげに宙を舞う。
両腕を広げ、世界を甘く受け止める。
なんて美しい。
その世界に黒くて大きくて、歪な形をしたものが紛れ込んでくるようになった。
鉄塔のようだったり、ビルのようだったり、鉄柵だったりするけど、一様に黒くて怖いものばかりだ。
一番上の兄にその話をすると、ふんわりと優しげな表情を曇らせて心配してくれるのだけど、兄にも理由や解決方法はわからなかった。
兄と呼べばいいのか姉と呼べばいいのか悩ませる人は、一瞬気遣わしげな表情になった後、多分たいしたことじゃないよ気にするな、とその美しい瞳を細めて華やかに笑った。
砂漠の国の王子様のような明るい兄は、冗談交じりにじゃあその鉄塔を燃やしちゃおうと過激なことを言い、氷の国の魔法使いのように冷たい美貌を持った兄にはたかれた。
はたいた後、クールビューティはにやりと笑いいっそ全部氷漬けにしちまうか? と物騒なことを本気とも冗談ともつきかねる口調で言った。
ケラケラ笑い合いながら、こんなに幸せなのに、何故世界にあんなものが紛れ込んできたのか不思議でしょうがなかった。
新緑が、かたくなってきてる。
風がわずかに冷たいものを含んでいる。
鉄塔が聳え立ち、お日様は雲に隠れている、
私は恐怖のあまり悲鳴を上げ、飛び起きた。
そのまま小走りに雷の部屋に飛び込み、泣きながら今見たものを捲し立てた。
「そうか……」
深夜に号泣した妹に叩き起こされ、正直かなり眠いだろうがいつも通り美貌の迫力は衰えず、それどころか重たそうな目元に気怠げな色気をプラスさせた雷が腕を組む。
Vネックの間からすごい谷間が丸見えで、同じ女の私でもどきどきする。
「とにかく今日はここで寝なさい。怖いものが見えたらまた起こせばいい」
毛布と、柔らかい雷の身体に包まれ、その温かさに涙がまたこぼれた。
ぎゅっと抱きつくと、優しく背中を撫でてくれる。
ぬくもりと共にまどろみながら、また瞳の中に黒い鉄塔が見えてくるのを感じる。
何故、幸せなのに、あんなものが。
ねえ、キスしてもいい?
もっかい。
もっかい、いい?
拒否されないのを知っていながら問いかける。
優しく唇を弄び、彼女の中の欲望をゆっくりと起こしていく。
さあ、楽しいコトを始めよう。
「今度はどこのオンナ?」
冷たい声が頭上から聞こえ、思わず苦笑しながら面を上げる。
予想通り、緑の髪をした美少女が侮蔑の表情を隠そうともせずそこに立っていた。
「何で、タダの飲み会だよ」
普通に笑ったつもりだったが、彼女の瞳は一層きつくなっただけだった。
「炎がタダの飲み会なんて参加するわけないでしょう。その飲み会でどうせギャルとお知り合いにでもなったんでしょ」
「いやあ、緑は賢いなあ」
笑って通り過ぎようとしたが、目の前に立たれ進路をふさがれる。
そのまま胸ぐらを掴まれ、顔が近づく。
「くさ」
せっかくの可愛い顔が歪められ、すべすべの眉間に寄った皺が深くなる。
「うん、お酒飲んだから」
「それと人工的なニオイ。鼻が曲がりそう」
あの子の香水のことかな? 確かに、ベッドの中でも漂うくらいにつけてたみたいだし……。
「マーキングされてんじゃないわよ」
吐き捨てるように言われ、苦笑しながら肩を押し道を空ける。
今度は何も抵抗はなかった。
「え、もう帰るの?」
2回戦が終わった後、ピロートークもそこそこに切り上げた俺を見て、彼女が不思議そうな顔をする。
いや、不思議そうな表情の下に不機嫌な物が見え隠れ。
この子は……そうそう、あかねちゃん。
最近仲良くなった子だ。今回で3回目。結構相性はいいみたい。
でも、そろそろおしまいかな。
「ん、ごめんね」
ちゅ、と額にキスをするが、わずかに不思議そうな表情を剥がしただけに過ぎない。
「妹がさ」
何となく言い訳してみる。
「妹? いたの? 聞いてない」
別にわざわざ個人情報漏らす必要もないからね。
「うん、すっげえブラコンで、俺が帰らないと機嫌悪くなんの」
彼女は「そんなことで?」という顔をし、声に出しては「私はもっと一緒にいたいんだけどな」と言った。
そういう上手なしゃべり方をするところが気に入ったのかも。
「ごめんねー」
でも、素直すぎる表情は苦手だ。
ドアを閉めると、何かがぶつかる大きな音がした。
俺は振り返らずに帰路を急いだ。
「ただいまぁー」
わざと声を間延びさせながらドアを閉めていると、背後で誰かがこちらの様子を伺っているのが分かった。
気付かぬふりをするか、こちらから声をかけるか。
一瞬悩んだが、なんだか面倒くさくなり、ばさばさと首を振りながら歩き出す。
目の前で焔のように髪が揺れ、少し楽しくなる。
だけど、その誰かがいる方向に近づくにつれ、段々ひんやりとしてくる空気に気がささくれ立つ。
「隠れる気ないんならそういうのやめてよ」
「緑だと思ったんだろ」
壁から浮き上がったような双子の兄は瞳の蔑みを隠そうともせず、だけどこちらを見ずにそう言った。
「何なの」
ホントに分からなくて聞いてみるが、さらっと無視された。ああそうですか。
むかついて(この兄のやることでむかつかないことはないのだが)鼻息も荒く通り過ぎようとするが、不意に鋭く睨み付けられて脚が止まった。
「本当だな。すげえ臭い」
なんだかものすごく失礼な事を言われたはずなのだが、背に流れ落ちたのは冷や汗だった。
「お前、緑に何求めてるんだ」
畳みかけるような言葉に、反論できない。
「妹に甘えんじゃねぇよ」
氷河を必死で追いかけるが、その背中はどんどん遠ざかっていく。
指先は僅かも触れることなく、その身体は扉の中に消えてしまった。
一瞬たりとも振り向かないその顔がどんな表情かは想像するしかないが、ピンと伸びた背中が痛々しかった。
「氷河、氷河、開けて」
刺激してしまわないように、そっと扉に手の平を添える。
部屋の中でひっそりと息を潜めてしまっている氷河に届くように、精一杯の思いを込めて必死で名前を呼ぶ。
今私が氷河に許される為に出来ることはそれくらいで。
「氷河、氷河、ひょーが、ひょーがぁ……」
何度も何度も呼んでいると、瞳が熱くなってきた。
ああ、私は何でこうなんだ。
氷河に酷いことをしてとことん傷つけて、氷河はただじっと耐えて、耐えられなくなった氷河はそれでも私を責めず自分の中に流れ出る血を閉じ込めようとして。
そして私はまた自分勝手に振る舞いそれを破裂させ、溢れ出した血のあまりの多さに怖じ気づく。
あまりの恥ずかしさに謝ることすらできない。
舌が凍ってしまったように動かない。名前すら呼べない。
呼ぶ資格ない。
どうしよう。
このまま終わってしまう。氷河はきっともう俺を許さない。
冗談抜きで、冷水をぶちまけられたような気がした。
「…………ゆるして」
口にしてしまった。
言ってはいけないことを。
嘲るようなタイミングで扉が開き、真正面には仮面のように無表情な氷河が立っていた。
氷を張った湖のように何も写さない瞳に、その人形のような相貌に、息を飲む。
この人は、こんなに美しいのに。私はこんなに汚い。
だからかも知れない、私や炎が氷河を汚したいと思ってしまうのは。
ふ、と氷河が微笑んだ。
冷気は出していないはずなのに、両腕に鳥肌が立ち、ぶるっと震えた。
「こじ開ければいいだろう。いつもやってるみたいに、俺のことなんかお構いなく」
悲しみと焦りのあまり眠っていたモノに、火がついたコトに気が付いた。
震えの半分以上はきっと、歓びだ。
暗い瞳をした氷河が嬉しいんだ。
「……ごめんなさい」
「次は泣き落としなんだな。そんなまどろっこしいことせずに、いつも通りやったら? もう抵抗するのも疲れた」
視線を逸らしながら、吐き捨てるように言われる。
その捨て鉢になった様子に、焦燥と歓喜がわき上がる。
だけど、だけどやっぱり。
「あー、そういう氷河も捨てがたいけど、やっぱりいつもの氷河がスキかな」
自分の思ってるのと寸分違わぬ事が聞こえた時は、何の事かと思った。
穏やかな声が凍りそうな空気を溶かし、我知らず詰めていた息を吐いた。
「はいはい、兄弟げんかなのか痴話げんかなのか分かんないけど、とりあえず落ち着いて」
「うるさい」
「はいはい」
唐突に大地が、氷河をぎゅっと抱きしめる。
「氷河」
宥めるような低音に、まるで自分が抱きしめられているような錯覚に陥る。
「俺が話聞くから、頼むから、そんな酷いこと言わないで」
氷河の表情にヒビが入る。
「うん、きっと氷河はいっぱい考え込んじゃったんだろうね。つらかったね」
「……」
みるみるうちに瞳が潤む。
大地に「あっちに行け」と手を振られるよりも一足早く、俺はその場から逃げ出していた。
胸を焦がすのは焦燥と。
とりあえず自室に逃げ込み、落ち着こうと普段は吸わない煙草に手を伸ばす。
手が震えてマッチがうまく擦れない。
やっと火を点し、最初は肺まで入れずに浅く吸う。
様子を見ながら、咽せないようにゆっくりと深呼吸をする。
緑の調合した薬草はすっと頭を冷やしてくれる。
1本吸い終わる頃にはかなり冷静になっていた。
ふわふわした雰囲気の大地が、穏やかな笑顔で氷河を抱きしめる。
硬く閉ざしていた心が溶けるのが見えるようだった。
氷河の瞳に張られた氷が蕩けたその瞬間、俺の頭を占めたのは僅かな焦燥と、すさまじい嫉妬だった。
あのままあそこにいたら、思わず突き飛ばしてしまいそうだった。
大地を突き飛ばして、氷河を奪い去りそうだった。
口に含んでいた飴が吹っ飛んだ。
この人は正気なのかしら。おそるおそる振り向くと、獰猛な目をした金髪が仁王立ちしていた。
やべえ超こえぇぇぇ。
信じてもいない神様に祈りそうになりながら、ゆっくりと身体の向きを変え対峙する。
こんなのに背後に立たれてたらヤバイ。
「……氷河はどうしたの?」
「誰かさんが余計な事吹き込んだせいでご無沙汰」
紛う事なく濃厚な殺意を感じる。
怖い。めちゃくちゃ怖い。
「もしかして、それって俺のせいだって言いたいの?」
わざと嘲るように言うと、気に障ったのか眉がぎゅっと寄った。
激情に耐えるように結ばれた唇。
「別にいいよ、相手するくらい。でも俺、痛いの嫌いだからなあ~」
わざと軽く言いながら、手の甲で雷の頬を撫でる。
それだけでわずかに震える身体は、確かに欲を欲しているのだろう。
良かった、内心噛み付かれたらどうしようと思ってたんだ。
「しかも、挿れちゃ駄目なんでしょ? だったら俺あんま気持ちよくないし」
そんな潤んだ瞳で睨まれても。本当に発情してんだな~……。
「……手でするから、ちゃんと炎も気持ちよくするから」
声も必死だ。
「えー……雷の『気持ちよくする』って何か不穏なんだよね~。あの氷河なのに悲鳴とか泣き声しか聞こえてこないし」
痛いところを突いたようで、俯いて黙り込んでしまう。
指先が行き所をなくしたようにもぞもぞしている。
虐めてる気になるけど、全部事実だし。俺は悪くない。
それどころか、俺も雷と兄弟なんだなあと思うくらい嗜虐心が満たされる。
もっと追い詰めたい。
「どーいう風にキモチヨクしてくれるわけ?? 具体的に説明してよ」
「だから……」
「俺、おっぱいそんなにスキじゃないんだよねー。雷のウリって胸の贅肉だけじゃん」
みるみる顔が真っ赤になり、金魚のように口をぱくぱくさせた。
髪が静電気を孕み、ふわりと浮き上がる。
一瞬本気で逃走の算段をした瞬間、雷が俯いて深呼吸した。
「絶対ヤる気ないだろ」
結構馬鹿じゃないんだよねー。
にっこり、極上の笑顔を見せつけてみた。
「あ、バレた?」
指先が放電し始めたのを見て急いで付け加える。
「でも、必死になってる雷をいじめるのって楽しいね。ちょっと勃ちそうだったもん」
「変態」
一瞬浮かべた、本気の侮蔑の表情に煽られた。
気が付くと、雷の髪を引っ張ってキスをしていた。
身体を震わせた雷に気を良くし、そっと舌で唇をなぞる。
何か、すごい嫌がらせだな、と苦笑を浮かべたと同時に不意を突かれた。
するりと舌が口内に入り込んでくる。前歯の裏をねっとりと舐められ思わず腰が震える。
うわ、何かむかつく。
思わず本気になりかけたが、自分でも何が何だかわからないが雷を突き飛ばしていた。
次の瞬間、ひやりとした空気を肌に感じ、頭を抱えたくなった。
雷が手の甲で唇を拭いながら、思わず、といった様に視線を落とす。
俺はというと、情けないことに振り向けない。
滅多にかかない、汗というものが背中を滑り落ちる。
お、俺悪くねーし! 誘ったのは雷だし!
……駄目だ、こんな事言ったら炎の氷漬けが完成してしまう。
どうしよう。
約1秒でここまで考え、何も思い浮かばないのでとりあえず土下座でもしようかと思い意を決して振り向き、決するんじゃなかったと心の底から後悔した。
「俺が誘ったんだ」
ぽつんと雷が呟く。
それから言葉が続かなくなり、俯く。
俺はというと、そんな雷を目の端に捉えながらも氷河から視線を逸らすことが出来ず、固まってしまっていた。
雷がまた何か言おうと口を開くが、それより早く氷河が言葉を発した。
「ごめん」
あんな潤んだ声聞きたくなかった。